その他雑多なこと(tDiary版)
2003/07/20 [日]
_ 一瞬で7時半になっていて慌てる。とにかく動けるようにご飯を食べる。
生演奏が「宇宙戦艦ヤマト」になった瞬間の会場のどよめきと一拍後に続く拍手に、勝利を確信する。(何にだ?>俺)
_ 1コマ目『君も《ふじ》を作ろう!』。
経験者の指示の下、製作を開始する。野尻抱介さんに採寸の間違いを指摘されちょっち落ち込む。でも企画が成功したのでOKです。
野尻さんの持ち込んだ各種計算尺を見せてもらう。野田司令の「コンピュータで実現する方がいいな」に「電気がなくても使えて壊れにくくていじゃないですか」とツッコミを入れたら、「この大きさや重さのコンピュータならもっと多機能なことがこなせる」と窘められてしまった。でも航空機用の航法士向けの計算尺には「樹脂にすりガラス、金属と収縮率の違うものを組み合わせてちゃんと動作するものをよく作ったなぁ」と感心されていた。
ダンボールにも感心されてしまった。ベイ・プランニングの出山さんに感謝。
_ 3コマ目『となりのロボット HRP2』
産総研の吉見さんが飛び入りで参加されとてもにぎやかに。
ここも立ち見がでるほどの盛況。川田工業の五十棲さんの発表がツボにはまりまくりで大受けでした。まあ、走り回っていて半分も聞けなかったんですけど。
藤澤さんは、会社のプレゼンを思い出してたらしい。会社の偉い人にプレゼンするときは見てもらうために面白くしないといけないそうだ。
_ [SF大会]
4コマ目『野田篤司の最新宇宙開発講座』
部屋の状態が前の企画のままだったし、プロジェクタが戻ってなくって大慌て。それでもなんとかなったのは他のスタッフのおかげです。
日本SF大会におけるNASDAの野田篤司さんとしての最初で最後の講演。来年にはJAXAになっちゃうからね。大盛況でした。
今回はあまり走り回らずにすんだので、大体は聞けました。満足。
_ 5コマ目『SFセンター試験』
模試を受けたので、受験資格がなかったので、休憩。のはずが、なぜか試験官をしてますよ?
_ 6コマ目『パーティ』
基本的に休憩。食事だけしてディーラーズルームで見張り番。
_ 7コマ目以降『Mcon in Tcon』
見張りとネットワーク設定の手伝いとかしてました。
2回目のシミュレーションはシャトルの打ち上げ。軌道に載せてカーゴベイを開くまで。3回目は《ふじ》の打ち上げ。3回目には野尻さんが責任者で松浦晋也さんが船長として参加してました。傑作だったのは、
ですかね。午前1時前には終了。
2回目と3回目の合間に、HRP2の開発者の御三方が見学に来られたので、星雲賞受賞記念でサインをして頂いた。「真ん中に出渕さんのHRP2の顔が来ないとね」と端の方に書かれてしまったけれど、竹内的には開発者の方のサインが欲しかったので、これでOKなのだ。
2005/07/20 [水]
_ [SF大会] HAMACON2悪印象篇
HAMACON2で思った悪かった点をまとめてみようと思う。1日目の中には少し書いてしまったのだが、2日目にあまり書かなかった。それは読んでいて気分が悪くなるだろうから書くのを避けたのだ。
いずれも他者へのプレゼンテーション能力の問題であり、2007年のワールドコンおよび日本SF大会を実行するためのプレゼンテーション大会を運営している実行委員会としての基本能力が欠けていることを示している、と竹内は考えている。
●インフォメーションブースがない
正確には2階の受付ブースや3階の実行委員会本部などあったのだが、どれも参加者からは遠すぎて(だって5階の企画部屋から2階まで降りて、また昇ったりはしないだろ?)使えなかったと思う。本来は各階のロビーに2名から3名が常駐するようにしておくべきだ。
●案内板がない
部屋番号さえ分かれば、というかもしれないが、会場までの誘導とか他の階の企画名とか案内板が欲しかった。
●企画部屋にスタッフがついていない
機材の使い方の説明や、タイムキーパーが必要なはずだが、まったくなかった。
機材の使い方のパンフすら置いていないのは問題だろう。タイムキーパー役がいない場合、無自覚な企画出演者だと時間を大きくオーバーし全体の流れを悪くすることも考えられる。
●リボンの意味がわからない
参加者への褒章システムであるリボンだが、当日になるまで一般参加者にはほとんど説明がなされなかった。これでは意味がない。プログレスレポート2号までに、どういう意味か、どうすればもらえるのか、広く知らしめ、ボランティアスタッフを増やすなどするべきだったのではないか?
●実行委員会内の意思疎通の問題
大会終了後に実行委員会主催のデッドドッグ・パーティがあったそうだ(竹内は不参加したので伝聞)。
竹内が関わった企画は3つ。シール企画、ライトノベルの包み方、マッドサイエンティスト・カフェである。事前にパーティの存在が流れたのはMSカフェ。当日グリーンルームに行って配布資料に書かれていたのは、ライトノベルの包み方。シール企画に関してはついぞ話を聞くことはなかった。
これは企画スタッフに情報が正しく伝わらなかったり、意識合わせができていない証拠ではないだろうか。
_ [SF大会] 「ガンダムが好きだから」について
どう書こうか悩んでいたが、神北さんにかなり詳しいところまで書かれてしまったので、黙っているべきではない、と判断して書くことにする。
2日目の10時過ぎ、竹内は怒りに震えていたのである。何故か。ふたつも「ガンダム」企画を重ねられてしまったからである。どちらも見に行ける訳ではないが片方は自分で粗案を出し、神北さんに迷惑をかけつつ実現した企画だったからだ。
この企画を思いついたのは2004年の11月頃。ディアゴスティーニの「週刊ガンダム FACT FILE」の公式発表を知ってからだ。スター・ウォーズやスタートレックで翻訳物、というイメージがあったFACT FILEで、おそらく完全に国内での編集となるシリーズはどのように作られるのか、興味があった。また先行する「ガンダム・ヒストリカ」「ガンダムA」それぞれが非常に個性的であり、これらが競演する企画は面白い物になるはずだ、と思った。
だが、ここでHamacon2の非ゲスト制の問題が出てくる。
ご足労願い、一定時間拘束して講演なり談話なりをしていただくのであるから、それなりのお礼をするのが常識である。ところが日本SF大会には何もないのだ。そこでゲストという形で招待し、出演しない時間に他の企画を見るなどで遊んでいただこう、というのがT-con2003やG-conのスタイルである。だがHamacon2は「ワールドコンがそうだから」という一言で、そのような方からも参加費を徴収するというのである。一介の参加者である竹内には各出版社を回るにも後ろ盾がない状態なのだから、この企画は諦めざるを得ないと判断し、闇に葬ることにしたのだった。
2005年2月、シール企画のこともあり、Hamacon2の全体会議に何度か参加するようになってのことである。「企画が少ないのでネタだしをして欲しい」と呼びかけていたので、駒八会で何度か話していた半澤さんに、思いつきレベルの物から粗案レベルのものまでいくつか出すことにした。このときに出した案から2つの企画が実現している。一つは「ガンダムが好きだから」もう一つは「ライトノベルの包み方」(この時点から持込企画にするつもりだった)だ。このときに「『ガンダムが好きだから』は、この時点から動くには、かなりのガンダムおたくでないとキツイと思うし、交渉が難しいので実行委員会からアプローチして、実行委員会内部のガンダムおたくの人に任せたい」と伝えたのだ。さらには「討論会形式にするもよし、時間を区切って各誌のプレゼンと質疑応答にするもよし」とも伝えている。プレゼンの場合、社内・社外いずれかで何らかの形のプレゼンを行っているはずなので、出演者はそれを流用できるだろうし、事前打合せも最小限度にとどめることができる、と考えてのことだ。
3月。コミケット・スペシャルの日本SF大会ブースで半澤さんと話す機会があったのだが、「まだ動いていない」とのことだった。本来であればここで異常に気がつくべきだったが、勝算があると思い、それ以上は聞かなかった。
それから時がながれて、ようやく出版社に連絡がいく。だが、大会直前まで第2次接触がなく、結局、事前打ち合わせなく当日を迎えてしまったのだ。提案したはずのプレゼン企画にもせずに、だ。
竹内にとって今回の件は、ネタ出しをした以上、何らかの形で追いかけ続けなければならない、という貴重な教訓であった。企画関係者には大変申し訳ないと思っている。次に何か行う時には、このようなことのないようにしたい。
Before...
_ 微妙な年齢のご婦人 [>SF大会シール企画SEALSから戦力外って通達されちゃいました ほほーう?]
_ 竹内一詔 [牛丼仮面様 お気遣いありがとうございます。 竹内もネット暮らし10年。署名コンテンツの怖さは理解しているつもりです。..]
_ シール団代表 [戦力外つーか、FA宣言されたつーか。]