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その他雑多なこと(tDiary版)

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2007/05/18 [金] [長年日記]

_ [PC] 25年

コンピュータを所有するようになって25年かぁ、と気がついたので、とりとめもなく思い出を綴ってみる。昔はおおらかだったなぁ、としみじみ思った。

_ ・1982年4月

MZ-80K2E購入。メーカー希望小売価格148,000円。

本当はパピコン(PC-6001)が欲しかったのだけど、親の同僚がMZ-80Kシリーズを持っていたのでMZになった。

2MHz駆動のZ80で32KBのRAM、4KBのROMを搭載していたように記憶している。4MHz駆動のZ80Aを積んだ倍速キットなんてのが雑誌広告に載っていたなぁ。

SP-5030 BASICがついていて色々なプログラムを書いたり打ちこんだものだ。

当時のシャープはクリーンコンピュータ思想でROMには基本的なモニタだけでソフトウェアは起動時に読み込んで使う方式。今のPCに近いかも。NECや日立のはROMにBASICを載せていて、実質BASIC専用機だった。まぁMZも付属しているのがBASICだったからそれ以外で動くことは滅多になかっただろう。

ただしメディアはカセットテープ。もちろん音楽用のだ。本体に専用カセットデッキが搭載されているので、1200ボーという高速アクセスが可能だった。

当時、専門誌といえば、電波新聞社の月刊マイコン、アスキーの月刊アスキー、工学社のI/Oが三大誌。どれもハードとソフトを扱っていた。マイコンBASICマガジンの創刊もこの頃。

ソフトバンクはまだ日本ソフトバンクという名前でソフトウェアの問屋のようなことをしていたが、まもなく機種別雑誌を次々と出していった。今のマシンはAT互換機かMacしか残っていないが、当時は機種ごとに違うアーキテクチャでソフトウェアの互換性はなかった。だから自分の持っている機種以外の情報は不要という人も多かったのだ。

_ ・1986年

MZ-2500V2購入。メーカー希望小売価格は198,000円だったと思う。モニタ別売りで合わせると24万近かった。

6MHz駆動のZ80Bに256KBのRAM。640×400ドット256色、ハードウェアスムーススクロール、FM音源3声PCM3声の高い表現力を持っていた。

SHARP系のS-BASICとマイクロソフト系に似たM-BASICが標準添付されていた。M-BASICは多分ハドソン製のはずだ。それ以前からHu-BASICを出していたのだから。フロッピーディスクベースで使用することを前提にしていて階層ディレクトリ構造をサポートしていた。

特筆すべきはアルゴ機能。プログラム実行中に電卓やカレンダー、エディター等を呼び出すことができた。個人用コンピュータでタスクスイッチャなどまだまだ、ましてやマルチタスクなど夢のまた夢の時代だ。

当時、NECからはPC-8801mk2SR、カシオからはFP-1100、日立はS-1、富士通はFM-77AV、シャープのテレビ事業部からはX1turboZと高機能8bitマシンが続々と発売されていた。この時期が8bitマシンの最後の楽園だった。

PC9801VMの発売もこの時期。その後の80286の搭載辺りから16bitマシンに、またBASICからMS-DOSに移行していくことになる。

90年くらいにRAMディスクボードを札幌のハドソンで1000円くらいで買って、増設スロットを1万円で買ってつけたこともあった。ユーザ辞書領域に使ってアルゴエディタでワープロもどきにして使ったこともあった。

_ ・1989年4月

PC1480U購入。

シャープのポケコン、E500の大学生協バージョンとも言うべき計算機だった。MZ80の頃から携帯できるマシンには憧れがあったけれど、値段や性能の問題で買えずにいたが、文房具の名目でためらうことなく購入できた。

関数電卓を使うという選択肢もあったけれど、BASICに慣れた身には、ポケコンの方が楽だったのだ。

レポートのグラフ作成とかで便利に使った。

_ ・1991年

X68000 XVI購入。モニタとあわせて35万くらいだった。大学生協の10回無利子にしたが、育英会の奨学金が入ってそのまま出て行った感じだった。

16MHz駆動のMC68000、2MBのRAM。ハドソン製のDOSライクなOS、Human68kにX-BASIC、ウィンドウシステムとして、SX-Windowを搭載していた。

SX-Windowは当時のMS-Windowsに比べて遥かに使い勝手が良かったが、漢字Talkに比べるとユーザ数のせいか、劣っていた。

実は大学生協ではMacSE/30を格安で販売していて、どっちにするか凄く迷った。けれど日本で入手できる情報や物資を考えるとX68kに軍配があがった。このときMacを買っていたら人生大きく変わったかも知れない。

もちろん純正Cは購入した。レポートのプログラムをX68kで組んだこともあった。

SX-Windowプログラミングは実際には行わなかったが、Oh!Xに掲載されていたSX-Windowプログラムの情報は、レポート用に書いたXlibプログラムとともにウィンドウプログラミングの概念として今も役にたっている。

そういえば、室蘭バスの定期券発券システムはどうなったかなぁ。1992年くらいにXVIを使ったシステムになったのだが、その後、2年でX68kは新製品が出なくなり消えてしまったからなぁ。

_ ・1995年12月

IBM PC110購入。ポートリプリケータやFDDも買って20万円以上した。雑誌で発表記事を読んで2ヶ月ずうっと欲しくてボーナスをはたいて購入したのだった。

基本モデルはi486SX 33MHz、4MB RAMにストレージとして4MB Flashを搭載していた。4MBフラッシュにはDOSとPIMを載せてPDAとして使うこともできた。

2400bpsのモデムがついていてグレーの公衆電話かパソコン通信もできた。またモデムを利用して電話機にもなった。缶詰状態で仕事をしていたときには日常的に電話機として使ったこともある。

10MBのPCMCIA type2フラッシュカードを買ってPC-DOSをインストールして使っていた。10MBではフルインストールできず、そのうち15MBのスマートピコフラッシュに移行した。

スマートピコフラッシュは今はコンパクトフラッシュと呼ばれている。この手の規格は廃れるのが常だが、IDEをベースにして使い勝手が良かったのだろう、今も残っている。

PCMCIA Type3のHDDカードを買ってWindows95をインストールしたこともあった。また、128MBのコンパクトフラッシュを購入したときにはFreeBSDを入れて使った。

Palmを買うまではメモ用に常に持ち歩いていたし、Fiva206を買うまでは議事メモを書いたりもしていた。

それにしても初めてのDOSマシンがこいつだったのは無謀というか、馬鹿というか。

_ ・1996年12月

BeBox購入。

PowerPC603e 133MHzを2発積んだBeOS専用マシン。

SoftwareDesignでこの話を聞いて面白そう、と購入した。確か25万円くらい。EIZOのCRTも別途10万円くらいで購入したので、やっぱりボーナスをはたいていたなぁ。

BeOSは積極的にスレッド分割してユーザのストレスを最大限軽くすることを目標にしたOSだった。今のPCがデュアルコア、クアッドコアと言っているのを先取りしたような設計といえる。

当時はMac互換機が存在していたし、AT互換機のようなオープン規格の話もあって、それらに移植される方向だった。Appleが互換機廃止、オープン規格廃止の方向転換とNext買収でBe社そのものの行く先が不透明になり、最終的にPalmに買収されてしまった。

この辺りからプログラム書いたりするのは減ってきたと思う。使うことに主眼が移っていったころだった。

_ ・1997年10月

PC互換機の自作をはじめた。

仕事で使うマシンも完全にWindowsに移行したし、家でもそれなりに使いたくなったのと、fj.freamarket辺りで中古パーツを安く入手できたので、はじめたと思った。

最初は雑誌の情報で手探り。中古パーツなので、マニュアルもなし、あっても英語だったりで随分楽しんだ。7台くらい組んだりばらしたりしたが、さほど愛着はない。使わなくなってストックパーツとしての価値もなくなればPCリサイクル法に従って廃棄するのみだ。

_ ・2001年5月

Fiva206購入。

TransmetaのCrosoeが面白そうだったのと、PC110後継がそろそろ欲しくなってきたので購入。CD-ROMやUSB-FDDも買って20万円くらい。

重さこそ大したことはなかったが、PC110の倍の面積をとって持ち歩くにはちょっと大きかった。最初に入っていたHDDがうるさくってかなわなかったが、壊れたのを気に入れ替えたらえらく静かだった。WindowsMeとXpで運用していたが、それなりに便利には使えた。なによりもアキュポイントだったのはうれしかった。これもマイナーチェンジばかりで後継機が出ずじまいだったなぁ。

_ ・2001年12月

Palm m100購入。当時すでに68kPalmは命運尽きかけていた。ある意味在庫処分で4980円で買った。

Palmの話は雑誌などで聞いていて欲しかったが、PC110を持ち歩いていた自分にとってはどうしても欲しいマシンではなかったのだが、4980円となると別。

使いはじめてすぐに割り切りのよさが気に入った。グラフィで入力するのは手間がかかったが、日本語をそのまま手書き入力するのに比べれば認識率の高さで快適だった。

結局、液晶を圧死させるまでの2年半使い続けた。

_ ・2004年7月

Zaurus SL-C860購入。

Palmを圧死させてしまって数週間。PDAなしで生活していたが、どこでもメモ取り・データ作成ができる、というのを知ってしまうと後戻りできなくなかった。というわけでZaurusを購入。あわせてPHSデータカードの契約もしたのだった。

データカードは変えたが、Zaurusu自体は今も使っている。Palmに比べれば重いし、割り切りは悪いし酷い代物ではあるが、Linuxベースということで、便利に使っている。

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